時間も場所も超えたところで。
小さい頃から漢詩を祖父から教えてもらっていたのもあってか、漢文趣味があり、大学でも専攻(日本文学・漢文学)に選んだくらいの自分なのですが、先日、遠い国の友人が帰る折に、大好きな詩に描かれた心情に深く感じ入ることがありました。
その詩は、「送元二使安西」。 どこぞの高校の教科書にも載っている(た?)有名な詩です。
原文:
渭城朝雨潤輕塵
客舎青青柳色新
勧君更盡一杯酒
西出陽關無故人
適当な意訳:
けさ降った雨のおかげで、砂は湿り
旅籠の柳は青々と、雨に洗われ瑞々しい
さあ、もう一杯飲もうじゃないか
砂漠のひろがる関のむこうは、ひとりとして友も居ない
とくに感じ入ったのは転句。 こっちに来てから一番の友だちの帰国日で、みんなで1ピッチャーだけ飲んだら帰る、という話で、パブに行き、 もう宴もたけなわという頃。
話したい話はした、お酒ももう終わりそうだ、あとは帰るだけだ、明日には一生会えるかわかんないくらい遠い国に行くんだ…… と思いながら、もう一杯飲もうって言ったとき、ああ、これなんだな、この詩の気持ちは、この気持ちは、と、しみじみと、ようやく腑に落ちたような気持ちになりました。そして、この漢詩が書かれた時間や場所とは全く異なるこの場所で、このような体験ができたことに胸がいっぱいになる思いでした。
かといって、自分が詩をどれだけ好きかとか、漢詩自体を英語でうまく説明できる勇気はなく、何も言わなかったわけですが。
詩者,志之所之也。在心爲志,發言爲詩。
心に思うことを言葉にあらわすのが詩だと、毛詩大序は書いています。
ずっと昔の人の心に今ここで共感できたこと、詩が、ただ本の中にあるものでなくて、今を生きてる自分の中にもあるんだと発見すること。 それができただけでも、旅のしがいがあったというものだと思いました。
伝えられなかったのが悔しくて、ためしに英訳。
中国哲学がそれなりに知られているのは知っていますが、日本と中国を除いた諸外国での漢詩の知名度ってどんなものなんでしょう。
Quiet city is after raining,
Willow branches is fresh and green,
I'd ask you to have more wine,
Far away from here, you will be.
最後の韻を踏めなかったけれど、漢詩は転句で韻を変えるし、ご愛嬌ということで……。(逃)
就職してから文学からはすっかり離れていたわけだけれど、こうしてみると自分はやっぱり文学が好きだなあと思う。